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【もっと】仏の教え忘れ【肝心な】

1 :名無しさん@3周年:04/05/06 22:56
とりあえず
・道徳

2 :Gocc (極猫) ◆HswindowsI :04/05/07 11:40
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3 :名無しさん@3周年:04/05/07 12:04
2ゲットズサー も無いままここまで下がってしまっている。寂しいっつーか珍しい。

>>1
何歳位ですか?

折れん家、代々カソリック。折れ、幼児洗礼。
キリスト教の教会では若い人をよく見かけるけど、仏教の施設では全く見かけない。
仏教って若者が受け入れにくい内容なのかい? 
お寺の雰囲気は好きで、初詣とか観光でよく行く。
弘法大師ゆかりの地だっけか、大津の近くの寺にも行ったよ。
親父が好きで、その名前から取った字を折れの名前に使った。
精進料理もGOOD。宿坊に泊まったこともある。
座禅もしたが、同じ姿勢を保つのが苦手でさ、何回も叩かれた。結構堪えるんだよね。
説法も聞いたけど、なかなかいいこと言ってたよ。仏教には仏教の良さがある。
神社はあまり馴染めないね。なんかこう......冷たい感じがする。
仏教にも宗派が多いよね。何宗?>1


4 :名無しさん@3周年:04/05/07 12:05
2ゲットズサーされてしもーた

5 :名無しさん@3周年:04/05/07 18:36
>>3
20代前半でつ。
彼女が某宗教(ここだけは本物と強調している仏教)の信者なのですが
とてもまともな道徳を学んできた人間だとは思えない行動発言が多々有るのです。
仏教=仏の教え ですよね?仏の教えに道徳的なものって有るのですか?
>>4
ダサいです。

6 :名無しさん@3周年:04/05/07 19:33
まず1さんは法律と道徳が食い違った時、
どちらを優先させる事が”まとも”だと考えているのか、
そのへんハッキリさせないと誰もレスしないと思う。
釣りスレが多いし。

7 :名無しさん@3周年:04/05/07 20:55
フランス革命を起こす事によって初めて手に入った
民主主義は道徳的に正しい政治思想ですか?
それともアルカイダと同様、テロリズムですか?

もしも道徳的に間違っているのなら民主主義は撤廃すべき筈ですよね?

8 :名無しさん@3周年:04/05/07 21:30
仏教の道徳とは何か?
それは「戒」です。出家せずに在家なら、「五つの戒」を守ります。
世界中、すべての仏教徒は「五つの戒」を守ります。世界標準です。
この戒を守る気がない人は、仏教徒とは言えません。

一、生き物を殺さない。
二、与えられないものを盗まない。
三、間違った性行為をしない。
四、嘘をつかない。
五、酒を飲まない。

9 :カソリック:04/05/08 00:50
随分とお若いでつね。折れ30代後半。

生き物を殺さない

折れ魚釣りが大好きで、釣れたら直ぐにナイフで刺し殺します。だってこうしないと不味くなるもん。
お盆休みに釣りに行ったら、連れがマジ顔で「殺したらアカンぞ」って言うんだよ。
仏教では特にこの時期の殺生が禁じられていることは後で知った。
仏教の人には悪いけど、こんなの守ってらんねぇ〜よ。

与えられないものを盗まない。は同意
間違った性行為をしない。も同意
嘘をつかない。も同意

酒を飲まない。

こんなん守ってられるかいっ!
酒が飲まれへんのやったら絶対に仏教にはならん。せいぜい頑張れや。

10 :名無しさん@3周年:04/05/08 01:57
自分が美味い汁を吸える時にだけ用いられる道徳論なら
誰も間に受けたりはしないわけです。
もしそういう答えを期待しているのでしたら、
この世のどこにも、そんなものは無いとしか言えないはずですよね。

11 :名無しさん@3周年:04/05/08 12:44
今日は珍しく気分がいい。土曜日だというのに出勤だ。ハァ〜

12 :名無しさん@3周年:04/05/08 19:18
>>6
>法律と道徳が食い違った時、どちらを優先させる事が”まとも”だと考えているのか、

道徳でしょう。ジャッジや行列を見てても明らかに理不尽な判定がくだることが多すぎ。

>>8
>四、嘘をつかない。

「嘘も方便」の嘘をガンガンついてる団体です、騙してます。

>五、酒を飲まない。

有り得ません。未成年なのに飲みます。

>>9
俺釣りやってみたいんだw今度連れてってよw
そいや会社の人が「お盆の殺生(釣り)は駄目」て言ってたな・・
その人実はどっかの宗教入ってんのかな・・?


13 :名無しさん@3周年:04/05/08 19:29
・善悪の区別

14 :6=7=10:04/05/08 22:06
>>12
聞きたかった事は答えてもらえたと思うので、私はこの辺で退散いたしましょ。

15 :名無しさん@3周年:04/05/09 00:36
酒を飲まない と 生き物を殺さない は理解不能だけど、
どんな宗教でも、常識が通じない戒律ってあるみたいね。
たとえば、折れの宗教、中絶が絶対に不可。暴行されてできてしまった場合でもダメ。
普通、その場合はイイんじゃねぇ〜のぅ。となると思うけど、ダメなものはダメ。
それと離婚もダメ。不幸なことに配偶者に逃げられたしても、ダメなものはダメ。
戸籍上離婚したとしても、今度は再婚が出来ない。相手が生きているうちはね。
神様が決めたことなんで、しょうがないんだよ。

16 :名無しさん@3周年:04/05/09 19:17
>>14
まぁまぁそんな水臭いこと言わないでもっと居てくださいよ(´∀`)
>>15
ハッキリ言って馬鹿ですね^^;
どこの宗教ですか?そこの教祖は道徳を習い直してきたほうがいいっすねw

17 :名無しさん@3周年:04/05/09 20:40
鈴木大拙の「禅とは何か」p11より

本来宗教は道徳ではないのである。しかし、またそうかといって、道徳をことごとく破壊し去ったところに宗教があるとはいえないのである。
善人が必ずしも立派な宗教家ではなく、立派な宗教家だからといって必ずしもその時代にその人が善人として通る物とも限らない。
いったい宗教なるものは道徳以外に一生面を開拓しているものなるがゆえである。
中世においてキリストの教徒があらゆる当時の道徳上から向けられた多くの非難に対して、完全として立って反抗を続け、または仏教でも、ある時代には人を
何らかの形式のモトに殺すというような事によって、宗教的な人間の精神の満足を勝ち得たという。
今日からして考えてみれば実に誤った観念を持っていた事は、いずれもこの宗教が道徳以外に一方面を別に開いていた事実を、有力に証拠立てるものであるといいうるのである。


>>8で挙がっているのは、道徳ではなく行だと思う。

18 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:08
「行」つまり「実践行為」でない道徳に、何の意味があると思います?
頭の中だけで色々考えるのが道徳でしょうか?

「戒」は道徳であり行なのです。

19 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:18
まあ、個々人の内面や生活で色々あるとしても、
「戒」の個々の文脈や意味に納得していれば、抑圧とかにもならないからなー。
無理にではなく、納得する道理として、ああそうんだよなと思うことは、そう難しくないと思う。

毎日の生活の中で、アホなことしちゃったりするけれど、
同じアホなことしちゃうにしても、昨日よりはアホ度が減ったことが確認できればそれでよしと。
アホな言動が他者との関係において、仏教的な厳密な意味で駄目駄目な行為であるとしても、
アホ度がそれだけ減ったことで、他者に与える迷惑が減るのも事実だから。
アホ度が減らんとしても、抑圧にならないような形で、アホ度を減らそうという他人への配慮が生まれたり、
配慮の度合いがより大きいものになれば、それでも、間接的そして結果的には、ましという意味では、他人のためになるのじゃ。

一般の人は、そういう、良い意味で、無理のない、あり方が大事だと思うよ。

20 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:18
今の宗教は、倫理や道徳を教えなくなっているようだ。
自分の信じている宗教は最高である、おまえが信じている宗教は悪いと、相手をケナスことを信仰だと取り違えている。
宗教を信じている相手と早く別れたほうがよい。

宗教が広まると世の中が悪くなっていく。倫理やマナーを自分の子供に教えよう。

21 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:22
と共産党の偉い先生が仰ってました。

22 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:27
だったら、宗教を信仰する者たちよ、共産主義者よ。
お前たち、今の世の中が悪くなっているのは、
共産主義者や宗教家の責任が大きいのだぞ。
分かっているのか。

23 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:34
本気で自己の苦しみを認識し理解し滅しよう、
生きとし生ける物を幸福にしよう、

としないから世の中が悪くなっているのです。

24 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:39
まず最初に、戒を守り実行していくことです。
五戒だけでなく、十善戒も守ることです。

25 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:40
戦後、倫理やモラル教育の基盤となっていた地縁の崩壊を促進した発明

・自動車の普及によって、家庭によっては一人一台の乗用車を所有するまで
 モータリーゼーションが促進された。
・電気通信機器の発達によって、不道徳な振舞を非難しても
 改心しない者が改心させようとする者を完全に出し抜ける環境が整った。

この環境下で倫理を説いても国民同士を内紛に追いやる事しか出来ない。

26 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:42
腑抜けの気概のない奴だ。

27 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:46
気概がある貴方ならきっと2chも
電信電話も全て撤廃させてくれるものと信じる。

ま、どうせ共産党の回し者が、
宗教者に盲信させようと煽動して
失敗したってだけだろうけどな。

28 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:49
個々の責任であり、全衆生の責任でしょう。
ただ、修行者としては、なるだけ、自分の過失を反省して
生かしていくことを地道に続けていくしかないです。

短いスパンでは、色々他者のせいにしたくなることもあるし、
事実、色々皆それぞれ言い分はあるし、
そういう気持ちになることは、人間として当然だし、一概に否定できない。

ただ、個人が制御しやすいのは、他者の言動よりも、自分の言動だからさ、
それに、心の平穏のことを考えれば、他者の言動を制御することを考えるより
自分の言動を制御するしかないし、そのほうが、事実上、比較の問題では、容易いよ。
他者は無数だが、自分は一人。他者の苦痛は無数だが、自分の苦痛は、自分だけ。

言うほど簡単なことではないかもしれんが、他に良い方法があるとは思えないです。

結局、「戒」とか「道徳」は、納得すれば、抑圧にならんし、
最終的には、自分と他人の利益の調整の話でしょう?もちろん、素朴な優しさとか慈悲とかも要るけど。
いずれにしても、「戒」とか「道徳」って、
そういう自利利他円満を本気で目指す生き方をその本人が納得ない限りは、
他人にはどうにもできないよー。
ならば、自分の言動を制御するには、どうすべきかを個々人が本気で考えて、取り組むしかない。
それには、宗教者/非宗教者の差別はないよ。


29 :名無しさん@3周年:04/05/09 22:53
あなたは宗教者なのか。
宗教を信じているのに、あなたは未来を放棄しているのか。

自分の意見に反対する者をすべて共産主義者にしてしまうのか。
産経や正論を読んでる者を。

30 :名無しさん@3周年:04/05/09 23:03
例えば麻原が無罪になるくらいの驚天道地の奇跡が起こるなら
神でも仏でも信じるけどさ〜。

産経なら尚の事信じられねぇな。
気概のある奴らみ〜んな、ぶっ潰しちまいやんの。

31 :名無しさん@3周年:04/05/09 23:08
>>18は行の意味を勘違い。

>>17でいっている行とは、修行の事であって、道徳的善悪に基づいた道徳ではないという事。

行は何のためにするか。
菩提心を高め、利他心を起こし、自己を向上させるためであって、善悪というものさしのためではない。

酒を飲まないのも、罪悪だからではなく、心が乱れるから。
酒に飲まれない程度なら、「本当は飲むべくもないけれど、これもこの世の習い」と法然は答えている。
本当に修行したいなら別だが、「道徳」のように、罪悪とかかわるから否定しているのではない。


32 :名無しさん@3周年:04/05/09 23:15
かまをかけたら乗ってきたな。
産経や正論は読んでいない。共産主義には反対である。
まともな話をするように。話が組み立っていない。

33 :名無しさん@3周年:04/05/11 01:26
ま、このスレで起きている先手必敗の消耗戦が、
掲示版の到る所で起きていて、かなり大きな潮流になっている訳でね。
いいからこっちに負けぐらい譲れ。話はこうだ。


あんたの言う「マトモ」ってのは、こうだろ?
連中がオウムに靡いた。何故か。
連中が一番悪いから。
だがここに連中を庇う香具師が居る。マトモじゃない。な?


だがこっちの言う「マトモ」ってのはもっと上を目指しているもんだからさ。
連中がオウムに靡いた。何故か。
我々が右の良識と左の分析力、
それら全てを良い所取りする事が出来なかったからだと。

こっちのマトモの方が余程マシだと思わないか?
じゃぁさ、今ここで示したマトモさって、
人類の最高峰なのか?違うだろ?
あんたや私が思いつく程度のマトモさしか、このスレには存在しないわけだ。
違うかい?

そしてな。
善悪は平地に善の山を作る積もりでやらなけりゃ、必ず失敗する。
悪の谷を作っちゃ駄目なんだよ。
巧言麗色鮮仁。言葉は不自由だ。

34 :名無しさん@3周年:04/05/11 22:17
「靡いた」の読み、意味が分りません。

35 :名無しさん@3周年:04/05/11 23:49
>>33
あなたに負けるぐらいに譲ろう。
あなたの言うことは理解できた。
仲良くやっていこう。



36 :名無しさん@3周年:04/05/12 00:40
仏教で肝心なのは、
「お経を読んでもなんにも変わらない」
ということだと思います。

37 ::04/05/16 00:27
あ・・本当だ・・


38 :名無しさん@3周年:04/05/16 20:52
お経ってそもそも何を言いたいの?何を伝えたいの?

39 :名無しさん@3周年:04/05/17 05:58
赤子の時は乳を飲み、歯が生え始めると離乳食を食べ、
食べ盛りを迎え、酒に心を酔わせ、味の嗜好も変わり、
酸っぱい物が食べたくなったり色々と。段々と硬い物が食べにく。

成長の過程で必要な食べ物も有毒な食べ物も違うと言いたいのかと。

まずはageる自分を見直すが吉。
そして地元のお寺にでもどうぞ。
天罰とは心に独裁の野望を持つ者にこそ本分にて。

40 :名無しさん@3周年:04/05/18 21:20 ID:peDzVA9Z
ageますが何か?ageちゃ駄目なの?

>赤子の時は乳を飲み、歯が生え始めると離乳食を食べ、
>食べ盛りを迎え、酒に心を酔わせ、味の嗜好も変わり、
>酸っぱい物が食べたくなったり色々と。段々と硬い物が食べにく。

お経ってそんなことを伝えてたの??

41 :名無しさん@3周年:04/05/18 23:57 ID:7arsS0j9
昔から、仏教を学ぶ前には「戒」を授かっていた。
戒を守るかどうか質問を受け、戒を守ると誓ったら入門をゆるされたのである。
754年に、日本最初の戒壇を築いたのは、唐の僧侶 鑑真なのである。
その後、822年に、最澄が比叡山に戒壇を築いたのである。
日本の仏教のほとんどの流れは、この比叡山から出ているのである。

最澄の流れではない
空海の伝えた真言密教の大日経にも十善戒が説かれている。

戒を軽視したり、無視したような、悟りや見性や仏教は本来ないのである。






42 :名無しさん@3周年:04/05/19 21:12 ID:R2US6R1Q
例えば浄土宗のような、か?

43 ::04/05/19 22:56 ID:rn1X2B4K
>>36>>37
カーーーーーーーーーーーーツ!   御利益を求めるやうでは、あきまへんな。

44 :名無しさん@3周年:04/05/19 22:58 ID:VYGE7dA2
>>42
浄土宗の開祖、法然上人は比叡山の出身である。
当然に浄土宗も受戒がある。

45 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:06 ID:Y5AtMmh0
>>43
だったら何を求めたらよいの?
お経を読めた所で何を得られるの?

46 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:12 ID:t/R/P5D5
お経を読めとは釈尊は言ってないよ

 これは、現代仏教の最大の勘違いだぼ★


47 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:43 ID:Y5AtMmh0
だったら釈尊は何をしろと?
仏教信者は何をしてるの?

48 :名無しさん@3周年:04/05/20 22:58 ID:kNSUTL68
1.父母につかえること、妻子を愛し護ること、仕事に秩序を持つこと
2.親族を愛し護ること、非難を受けない行為をすること
3.悪をやめ、悪から離れ、飲酒をつつしむこと
4.謙遜と満足と感謝の意を持つこと
5.耐え忍ぶこと、ことばのやさしいこと、適当なときに理法について
  の教えを聞くこと
6.世欲のことがらに触れても、その人の心が動揺せず、憂いなく、汚れ
  を離れ、安穏であること

49 :名無しさん@3周年:04/05/21 08:52 ID:zbsS1jPK
>1 道徳などという社会的なものが、仏教にあるの?

50 :名無しさん@3周年:04/05/21 11:06 ID:j3GT/p4E
>>49
戒があるよ。

51 :名無しさん@3周年:04/05/21 11:37 ID:+1rJJL1+
>>50
じゃぁ浄土真宗のバヤイはどうなるの?

52 ::04/05/21 18:10 ID:IKUWI2MJ
>>47
この世を、この世界を
ありのままに見るのじゃ。受け容れるのじゃ。。。

53 :名無しさん@3周年:04/05/21 23:32 ID:s0hUryzj
>>51
浄土真宗も法然の流れであるから、
得度のときに戒を守ることを誓っているよ。



54 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:24 ID:7rdAgQv3
>>17をよんで欲しいんだが、鈴木大拙の意見に同意。

道徳と、仏教の戒は、当然重なるものがあるが、似て非なるもの。

仏教の戒は、修行者の菩提心を高めるためのもので、最高実在との一体感を得るもの。
道徳は、社会通念上好ましいもの。

重なりはするが、必ずしも一致しない。


55 :名無しさん@3周年:04/05/22 00:44 ID:Ep3zH6SD
>>54
別の書物で、鈴木大拙は、自らの説明に危うさを感じて、
「もちろん、善を為し、悪を為さないということであります。」という旨のことを述べています。

人心が荒廃し、犯罪率が増加している時代に、
危うい引用の仕方や、危うい説明の仕方をしないほうがよいのではないでしょか。


56 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:10 ID:7rdAgQv3
いや、仏教が慈悲の実践だなんて前提のつもりで、引用したんですが。
「TO do good is my Religion」の、「TO do good」が、イコール道徳かどうかという事です。
単に、一般にいわれる(また、大拙が引用した意味での)道徳と、戒が、本質的に同じものか疑問提起したのですから、
そのレスは言葉面を問題にしただけで、全く反論になってませんよ。
「かさなる」ともいってますしね。

別に道徳を否定したわけじゃないんだから、なぜ大拙がそういったのか、もうちょっと本質的なことを話しましょうよ。



57 :名無しさん@3周年:04/05/22 01:52 ID:+1zxRpSC
>>56
あなたに反論なんかしていませんよ。それよりも感受性の無さを言っているのです。

世間道徳と戒は一致するものではありませんが、道徳を否定していなかったら誤解のない表現をとられることを期待しています。

わたしは、>1ではありませんが、
このスレのテーマである、仏の教え忘れにならないようにしたいものだと思っています。


58 :名無しさん@3周年:04/05/22 02:14 ID:7rdAgQv3
あのですね、あの引用を見て、道徳否定ととられたなら(ちょっと信じがたい事ですが)謝ります

ですが、あなた以外の人は、だれも道徳否定と取らないと思いますよ。
言葉面よりも本質について論議しようとする、「このスレの人なら」ね。

私には、単なる当てこすりに見えてしまいます。
あなたのために申しますが、少し胸に手を当てて、落ち着いてご自分の内面をみつめてみてはいかがですか。

これ以上のことは申しません。

59 :名無しさん@3周年:04/05/22 02:48 ID:0BHSSv8U
>>58
あなたは日本から発信しておられますか、
それとも、外国から発信しておられますか。

あなたは日本の未来がどのように見えますか。
最も日本の未来に希望を見出せない者は、現場の教育者であることをご存知でしょうか。
それは、自分が教えている子供たちを見て、その子供たちが成人したときの日本の未来が見えるからです。

今の日本人は、自己完結型の幸福観に酔っているのではないでしょうか。
だから、自分の外でおきていることに気づかないのではないでしょうか。

今の子供たちの世界では、暴力事件はざらにある。盗む。嘘をつく。生き物を簡単に殺す。死ね地獄に落ちろといじめる者たち。
酒を飲んで登園する幼稚園児。中学生にタバコを止めろと注意したら もめて中学生は少年法で無罪 大人は逮捕。
覚せい剤を学校で売買するものたち。

こんなことがいっぱいある、未来の大人たちの世界をご存知ですか。
教育は国の根本といわれています。
日本の未来を希望あるものにするには、
教育を立て直すしか方法がないのではないでしょうか。
今、その教育が無効になっているのです。


60 :名無しさん@3周年:04/05/22 06:03 ID:65qnncb9
ま、それ以上横車を押して弾避けを募集するつもりなら、
私も日教組を非難する側に廻りましょう。

61 :名無しさん@3周年:04/05/22 11:16 ID:Jmh2Ivkm
>>60
いっしょに日教組を非難しましょう。
この日本の教育を悪くした一つの大きな原因は日教組でしょう。
わたしは教育には関心がありますが、教育者ではありませんし、日教組でもありませんよ。
ボランティアで様々な現実をみてきているだけなのです。
横車なんか押していませんよ。横車と受け取られたならば謝りましょう。

このスレの宗教に関心がある人たちに、お釈迦さんの僧団には慈悲の前に比丘や比丘尼の戒があったことを、
歴史的に見ればイエスの愛の前にモーゼの十戒があったことを、物事の後先を思い返してほしいのです。

宗教に関心がある一部の人たちが当然としているところの戒が、今、大きく崩れてきているのです。
その戒が派生して生まれたところの道徳も崩れてきているのです。
その一つの大きな原因は、日教組だけでなく、宗教者たちの戒への認識の甘さがあると思っているのですが。



62 :名無しさん@3周年:04/05/22 18:24 ID:VBXEl7hq
ここの1ですが
私は「念佛宗無量壽寺」の信者の人間性を見て
このスレを立ち上げるに至ったのですが。念佛宗無量壽寺第についても語って下さい。

63 :名無しさん@3周年:04/05/22 23:16 ID:ZYt1zGGh
念仏宗とは新興宗教ではないでしょうか。

宗教団体といっても、大きく分けて、既成宗教と新興宗教と
もう一つは金儲けをするために宗教法人を買い取るケースがあるようです。

既成宗教と新興宗教ならば戒や道徳の話が入り込む余地がありますが、
金儲けのために買い取った宗教法人ならば戒や道徳の入り込む余地はないでしょう。
同じ宗教法人といっても、一まとめで語ることは難しいのではないでしょうか。


64 :名無しさん@3周年:04/05/22 23:19 ID:nF3hxPLp
念仏は争いが絶えない。道徳とは無縁。

65 :名無しさん@3周年:04/05/22 23:30 ID:ZYt1zGGh
どこどこと限定することは、いろいろな意味で難しいのではないでしょうか。

法華からすれば浄土は争いが絶えないというでしょうし、
浄土からすれば法華は争いが絶えないというでしょう。
宗教の持つ排他性が多くの争いをもたらしています。

まず、偏狭な心をなくして争いをなくすようにすることが大切でしょう。
これも道徳の一つではないでしょうか。


66 :名無しさん@3周年:04/05/23 11:32 ID:CQ3GP7Tj
いろいろな考えがあるでしょうが、「戒」を分岐点にして、
「宗教の道」と「道徳の道」が分かれたともいえるのではないでしょうか。

宗教は戒を踏まえて「内面(心)」に向かったものであり、
道徳は戒を踏まえて「外面(社会性)」に向かったものではないでしょうか。

宗教を信仰する人たちは、自分の幸せを追いすぎるあまりに、戒を守っているかどうかを自らに問い掛けることを忘れてしまったのではないでしょうか。
また、道徳は、歪みのある社会的因習までも、人の道としてしまったところがあるようです。

温故知新の精神で、仏教の五戒や十善戒を守り活かすという姿勢で、
五戒や十善戒に光を当てていく必要があるのではないでしょうか。

悟りや見性や慈悲や菩提や功徳や往生や愛などの、
心地よい言葉ばかりではなく、
自らを律するための「戒」を守っているかどうかを、自らに問いかけることが大切なのではないでしょうか。

戒を守ることが不十分であったならば、良心の呵責から自由になるために、
もっと守ろうとする姿勢こそが大切なのではないでしょうか。


67 :名無しさん@3周年:04/05/23 12:03 ID:tQFNzDOQ
戒の前から宗教も道徳もあったよ

68 :名無しさん@3周年:04/05/23 12:32 ID:SpS7DctL
>>65
つーか、争いをなくすのが宗教ではないの?
そのうち、宗教をしてない者が、仏であった
と知ることが来るかもしれないな。

69 :名無しさん@3周年:04/05/23 13:09 ID:J7eQcFL3
>>67
そうですね。良いところをついていますね。
戒を強調することで、
宗教そのものが成長してきた歴史があるのではないか?という見方もできそうです。
モーゼの十戒の前にも宗教がありましたが、それをバアル信仰と呼んでいます。
仏教の前にも様々な宗教がありました。
ひょっとすると、宗教又は宗教心そのものも成長しているのではないでしょうか。
どんな成長をするか? どんな成長をしていくのか?

>>67さんが言っているように、
>争いをなくすのが宗教ではないの?
>そのうち、宗教をしてない者が、仏であった
>と知ることが来るかもしれないな。

重要ポイントですね。
各人の宗教心が成長していくと、このようになる可能性が高くなると思われます。
そうなると、「宗教の自由」と「宗教の好き勝手」が区別されるようになり、
争いごとや詐欺まがい行為をするような、公共の福祉に反するような宗教法人は、宗教法人を取り消される時代がくるでしょう。
そのためには、一人一人の意識改革が進む必要がありそうです。






70 :名無しさん@3周年:04/05/23 13:44 ID:M3HDoDNl
訂正です。

訂正前 >>67さんが言っているように、
訂正後 >>68さんが言っているように、


71 :ブッダのことば ◆B2HNWyA9.. :04/05/23 16:48 ID:00dn9+P6
〜安らぎは虚妄ならざるものである。諸々の聖者はそれを真理であると知る〜
〜真理は一つであって、第二のものは存在しない。その真理を知った人は、争うことがな
い〜
〜たとい称賛を得たとしても、それは僅かなものであって、平安を得ることはできない。
論争の結果は称賛と非難との二つだけである、とわたくしは説く。この道理を見ても、汝
らは、無論争の境地を安穏であると観じて、論争をしてはならない〜

〜戒律を最上のものと仰いでいる人々は、「制戒によって清浄が得られる」と説き、誓戒
を受けている。「われらはこの教えで学びましょう。そうすれば清浄が得られるでしょう」
といって、真理に達した者と称する人々は、流転する迷いの生存に誘きこまれる〜

〜一切の戒律や誓いをも捨て、世間の罪過あり或いは罪過なきこの宗教的行為をも捨て、「
清浄である」とか「不浄である」とかいってねがい求めることもなく、それらにとらわれず
に行え。―安らぎに固執することもなく〜

ブッダのことばでは、論争と論じ合うことでさえ、真理である「安らぎ」から遠ざかると説
かれています。一切の戒律や誓いをも捨て、樹の根もとで瞑想でもして、大いにみずから満
足し安らぎを得ましょう。

72 :名無しさん@3周年:04/05/23 17:43 ID:frsla3O4
>>71
>一切の戒律や誓いをも捨て、

釈尊に近づいて、仏教教団に入るには比丘(男性)は約250戒、比丘尼(女性)は約348戒を受けたといわれています。破った戒によっては破門されていたようです。
「>一切の戒律や誓いをも捨て」とこれらの戒を守ることとの関係はどうなるのでしょうか。

「一切の戒律や誓いをも捨て」は、人によっては、解釈の仕方によっては、
オウム真理教のヴァジラヤーナ(殺人教義)の繰り返しになる場合もあるのではないでしょうか。

「>一切の戒律や誓いをも捨て」の本当の意味は、
「守らなければ守らなければと思って戒律に執着していたが、それらへの執着をも捨て、戒律が自然に身体に従うようになること」ではないでしょうか。
執着を捨てることと、戒律を捨てることは、まったく意味の違うことです。

字義(字の意味)どうりに読んでいては、本質を見落とすのではないでしょうか。
書いた人たちの意図を読み取る必要があるのではないでしょうか。
読み手や聞き手に、誤って解釈されないような説明の仕方が必要なのではないでしょうか。
あなたは、きっと戒律を自然に守っておられると思いますが。


73 :名無しさん@3周年:04/05/23 18:27 ID:oXhngTAZ
それと、「戒律は最上のものではなく、基礎になるものである」を付け加えておきます。



74 :名無しさん@3周年:04/05/23 18:28 ID:rtbbjOLo
スッタニパータなどの原始仏典における「誓戒(ヴラタ)」ってのは、
犬なんかの動物の真似をすることによって完全な無所有、無思考、無後悔という
自由な境地を極めることで、悟りを得ようとすることだよ。
これは当寺の外道の修行者たちがよくやっていたそうだ。

ブッダが三学の土台として制定したのは「シーラ」だよ。
ちゃんと注釈も読んだ方がいい。

75 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:11 ID:0fsirHtd
>>74
>72ですが、アドバイスありがとうございます。

>>71の 
>一切の戒律や誓いをも捨て、

ここの「戒律や誓い」は、当時の外道の修行者たちがしていた動物の真似などをする「誓戒(ヴラタ)」ということですね。

これに対して、ブッダが三学(戒・定・慧)の土台として制定したのは「シーラ(戒)」ということですね。
だから、スッタニパータでは、ブッダが制定した「シーラ(戒)を捨てよ」とは言っていないわけですね。

この「シーラ」の流れが、五戒や十善戒であると考えればよいのでしょうか。



76 :名無しさん@3周年:04/05/23 22:32 ID:6+xx+lle
<ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。
ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。>

 律法主義のファリサイ派の人々にとっては、安息日に麦の穂を摘むことが、重大な律法違反であり、罪だった。
彼らの理解する安息日の聖別とは、そういうことである。これに対してイエスは、
「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」
と言われた。 >



当時の人々にとっては、「律法=道徳」だった。イエスは、当時の感覚で言えば、安息日をやぶり、売春婦や奴隷、徴税人、異邦人と交わった「道徳破り」だった。
別に、道徳=非普遍的というつもりは無い。
だが、実質が大事だという事だろう。

仏教の戒についても、女性と交わる事について、男性が寝ている間に陰茎が固くなり、それに女性がまたがったとき、男性は破門されない、
など、さまざまな細かい具体例をあげて、「実質」について言及している。
また、破門についても、「仏教的な求道姿勢における、資格の取り消し」であって、「道徳的な意味での刑罰」ではないのでは。

戒や道徳の重要さはいうまでも無いが、字面の律法にとらわれない心も重要だと思う。

77 :名無しさん@3周年:04/05/23 23:33 ID:egVw+6GY
>>76
そうですね。
わたしたちの義が、律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければなりませんね。
イエスは、律法について語られていますので書いておきます。

「わたしが来たのは律法や預言者を廃止するためだ と思ってはならない。
わたしが来たのは、律法を廃止するためではなく、律法を完成するためである。
はっきり言っておく。すべてのことが実現し、天地が消えうせるまで、律法の文字から一点一画も消えることはない。
だから、これらの最も小さな掟を一つでも破り、そうするようにと人に教える者は、天の国で最も小さい者と呼ばれる。
しかし、それを守り、そうするようにと教える者は、天の国で最も大いなる者と呼ばれる。
言っておくが、あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、
あなたがたは決して天の国に入ることができない。」

と「義」と「律法」の関係について述べておられますね。


78 :名無しさん@3周年:04/06/19 14:07 ID:3UjqwSMr
うーん

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